あれはたぶん永遠の前の日
2月20日、退学届の書類をもらいに大学に行きました。
9月1日から始まった、来年どこでなにをしているでSHOWが水曜日にやっと終わった。
心からほっとした。
もう過ぎたことだからどうでもいいけど、なかったことにはしたくないから、自分の為に記しておきたいので書きます。もう二度とこの話はしない為に。
PCで書いてたら長くなった。恥を忍んでぜんぶ言っちゃうね(パロディーではない)
大きいチャンスは10/26(11/3)11/18
ちなみに11/11-16は、キャンセル料もったいないからもう行っちゃえと思って、なにかを断ち切ろう、なにかが変わるかなとアメリカ一人旅しました。
よく考えるとそんな時期に肝が据わってるのにもほどがある…
でも今日占いで、旅行から帰ると運気が上がるって言われたからあながち間違ってなかったのかもしれない、結果論だけど
結局年内には決まらず、1/16からは大学の後期試験が始まって、2月1日に今回の学校を受けて、2週間焦らされたのち受け入れてもらえることになりました。
支離滅裂なこと言ったから、落ちたなら面接のせいだなっていう手応えだった。
むしろ落ちるわけないくらいの難易度。だからみんなおめでとう言ってくれたけど、ほんとに今回の試験に関してはすごく努力したというわけではないの。ただ塾バイトで新課程触れてたから助かった!
発表の日は9時半から講義だったんだけど、10時にネットを見る前に、もしダメだったらどうしようかちゃんと決めてからにしようと勢い任せで思い立って
ロッカーに残ってる荷物を全部撤収して、着いたばかりの学校を出て電車に乗って丸善で公務員試験の概要を一通り読んで腹を括りました。
で、時間になってネットを見たのにまだ掲載されておらず…
その日の夜はじゃにおたの友達と舞台行く予定だったから、だめなら今回が最後にしようというのも決めて足を洗う覚悟もした(笑)
それで最初のドキドキからはもう時間が経ってたから、落ち着きを取り戻して家に帰ってしばらく。もう一度確認したらありました。712でした。
締切日に出願したから番号は本当に最後のほうだった。
私の前後の番号だけある、って光景をもうn回と経験してるから、やっぱり見つけたときは安心するよね。
よかったあああ…って思い切りスマホをベッドに打ち付けた。
夜は1年越しの嬉しいこともあって、何も知らない大学の友達とまた泣いた。溜まったエネルギーを解放して、すごくストレス発散できました。
週明けて大学の先生に報告しに行った。
入学当時からの主任とサブ的な信頼してるふたりの先生。
再試とってたから、まずそれはクリアーしてたよって言われて、あとはおめでとうってまた言ってもらい複雑な気持ちになった。
面談とかで浪人した経緯も話してたから、私の進路というか目標がぶれぶれことも分かったうえで、
「もう医学部行きたかったなんて言っちゃいけないよ」って。
「固執は迷いを生じ、迷いは固執を生むからね」
もう金輪際言わないし、言うべきことでもない。
高校いや中学のころから人よりちょっとだけ勉強を頑張っただけの話で、
成人式もサークルとか大学生のうぇいうぇいなノリも(性に合わないけど)いわゆる青春はぜんぶ投げ打って追いかけた漠然とした夢だった。
応援してもらってたし、恵まれていました。
浪人させてもらったことにも本当に感謝してるし、最終的にこんな形になってしまったことは不甲斐なくてたくさん泣いたけど、今度こそ立派な看護師になるね。
ありきたりだけど、一人じゃ絶対乗り越えられなかった。
交通費や宿代もあったし編入受験の費用もかかったし、この半年たくさん郵便局行ったし、それでも余計な心配かけたくなくて明るく振舞ってたけど、愚痴というか他愛もない話に付き合ってくれる友達には心底救われた。
一人でつらかったね、って言ってくれるの、たしかに誰かに手伝ってもらったわけじゃないけど
私がつらくてどうしようもないときに一瞬でも寄り添ってくれた事実に嘘はないし
支えてくれた周りのひとに感謝して頑張ります。大事にしよう。
学歴で落ちこぼれても社会人としては落ちこぼれるなよ、と父に言われたので、私は私なりに必ず成功してみせるのが今のモチベーション。
私立中高一貫女子校→2浪→私立医療系大学(特待入学・仮面浪人失敗・留年の危機)2年間→専門学校→??
この話もうしません。
読んでくれた方ありがとうございました。